6年生から始まる新しい学習
5年生から6年生になって変わる勉強の内容といえば、はやはり社会科の『歴史』ではないでしょうか。
今までは暮らしの中の「社会」を学んできましたが、それとは違うなにかミステリアスな感じの『歴史』に興味をもつ子供もいるのではないでしょうか。
特に男の子は、歴史が好きという子が多いと思います。
歴史上の人物(特に戦国武将)をキャラクターのようにとらえ、興味がわくということなのでしょう。
ということなので私達「お父さん」も日本史、いわいる小学校で習う『歴史』が好きな方が多いと思います。
私も唯一好きだった教科です。
そういうわけで、娘の社会の家庭学習は特に興味深く見守っていました。
しかし、ある時思い出したのです。そういえば、何年か前にニュースで「聖徳太子」は実際にはいなかった、とか、さらにまた何か前は「鎌倉幕府」ができたのは1192年ではなく1185年だという衝撃の発表を。
ということは今の教科書ってどうなっているのだろうと思い早速娘の教科書を確認しました。
すると、「聖徳太子」については。。。
なんと!ふつ〜〜に出てきました。
しかも、私たちが小学生の頃と同じように大々的に。
法隆寺、十七条の憲法、冠位十二階、遣隋使の業績もしっかりと「聖徳太子」という名で紹介されてました。
どいうこと??と思い、調べてみると、この「聖徳太子」というのは諡(おくりな)という別名の一種で、死後に付けられた称号だということです。本名は「厩戸王(うまやどのおう)」という名前なのです。
それで、ここ数年文部科学省で教科書の表記をどうするのかという議論がなされ、一度は小学校では「聖徳太子(厩戸王)」、中学校では「厩戸王(聖徳太子)」という表記にしようという改訂案が出されたようなのです。
しかし、「小中で表記が違うのは教えずらい」などの意見や、国会で「歴史に対する冒とくだ」と批判されたため、文科省はその改訂案を取り下げました。
で、結局小中ともに「聖徳太子」のみの表記になりました。
ということなので娘の教科書も、昔の私たちの時代の教科書と一緒で普通に「聖徳太子」と出てきたのです。
ややこしいですが「聖徳太子」が本名でないのは確かみたいですね。(^_^;)
あと、「聖徳太子」が行った遣隋使。これも607年小野妹子が第1号だとされていますが、実は隋には600年に「倭からの使いあり」という記録が残っているそうで、遣隋使第1号は小野妹子ではないそうです。
小学校の歴史の勉強の中で一番印象的なフレーズ。
「いい国(1192年)つくろう鎌倉幕府」
しかし、この鎌倉幕府ができたのが1192年(いい国)ではない1185年(いい箱)だというニュースが発表されたのはもう何年も前の事です。
なので次に、この「鎌倉幕府」は今の教科書ではどうなっているのかと確認してみました。
するとなんと!「鎌倉幕府」の成立は1192年と書かれていました。(少しぼかした書き方でしたが)
これまた、どういうこと??
で、また教科書以外で調べてみると。。。なんか今、この「鎌倉幕府」の成立の年号が、かなり曖昧になってるみたいです。
娘の教科書では1192年となっているものの他の書物などでは1185年と書かれている方が多い様です。
1185年は壇ノ浦の戦いで源氏が平氏に勝ち、源頼朝が守護・地頭を設置した年。
1192年は源頼朝が征夷大将軍に任命された年。
実質的に源頼朝が朝廷から『日本の支配』を認められたのは守護・地頭を置いた118
5年からなので、1185年に「鎌倉幕府」成立。という1185年説が多いらしいです。
しかし曖昧ですね。教科書にはとりあえず1192年となっているので、テストでも1192年と書くのが正解だということです。しかもこの他にも、1180年説、1190年説などもあるらしくもうわけがわかりません!(^◇^;)
文科省は「聖徳太子」と同じ理由で「鎌倉幕府」も昔と同じにしたのでしょうか?(^_^;)
でも、またこのミステリアスなところが『歴史』の魅力なのかもしれませんね。
ここに書いた「鎌倉幕府」の事や、国語、算数、理科、社会、英語や、昭和と平成の学校生活の違いなども収録したこの本。お父さん、お母さんに読んでもらいたい本です。
で、私も娘の『歴史』学習開始に影響され購入したこの本。日本史、世界史、日本地理、世界地理、政治経済のレア情報、雑学を1354収録。
たくさんの記事が掲載されていますが、1つ1つの記事の文字数があまり多くないためサラッと読めます。
自分の興味のある所だけ読んだだけでも満足感有りです。
温故知新ではありませんが、学生時代習ったことを思い出しながら更に新しい知識を学べます。
子供の家庭学習のレア情報としても役立っています。
なんと!ふつ〜〜に出てきました。
しかも、私たちが小学生の頃と同じように大々的に。
法隆寺、十七条の憲法、冠位十二階、遣隋使の業績もしっかりと「聖徳太子」という名で紹介されてました。
どいうこと??と思い、調べてみると、この「聖徳太子」というのは諡(おくりな)という別名の一種で、死後に付けられた称号だということです。本名は「厩戸王(うまやどのおう)」という名前なのです。
それで、ここ数年文部科学省で教科書の表記をどうするのかという議論がなされ、一度は小学校では「聖徳太子(厩戸王)」、中学校では「厩戸王(聖徳太子)」という表記にしようという改訂案が出されたようなのです。
しかし、「小中で表記が違うのは教えずらい」などの意見や、国会で「歴史に対する冒とくだ」と批判されたため、文科省はその改訂案を取り下げました。
で、結局小中ともに「聖徳太子」のみの表記になりました。
ということなので娘の教科書も、昔の私たちの時代の教科書と一緒で普通に「聖徳太子」と出てきたのです。
ややこしいですが「聖徳太子」が本名でないのは確かみたいですね。(^_^;)
あと、「聖徳太子」が行った遣隋使。これも607年小野妹子が第1号だとされていますが、実は隋には600年に「倭からの使いあり」という記録が残っているそうで、遣隋使第1号は小野妹子ではないそうです。
「いい国つくろう鎌倉幕府」は何処へ
小学校の歴史の勉強の中で一番印象的なフレーズ。
「いい国(1192年)つくろう鎌倉幕府」
しかし、この鎌倉幕府ができたのが1192年(いい国)ではない1185年(いい箱)だというニュースが発表されたのはもう何年も前の事です。
なので次に、この「鎌倉幕府」は今の教科書ではどうなっているのかと確認してみました。
するとなんと!「鎌倉幕府」の成立は1192年と書かれていました。(少しぼかした書き方でしたが)
これまた、どういうこと??
で、また教科書以外で調べてみると。。。なんか今、この「鎌倉幕府」の成立の年号が、かなり曖昧になってるみたいです。
娘の教科書では1192年となっているものの他の書物などでは1185年と書かれている方が多い様です。
1185年は壇ノ浦の戦いで源氏が平氏に勝ち、源頼朝が守護・地頭を設置した年。
1192年は源頼朝が征夷大将軍に任命された年。
実質的に源頼朝が朝廷から『日本の支配』を認められたのは守護・地頭を置いた118
5年からなので、1185年に「鎌倉幕府」成立。という1185年説が多いらしいです。
しかし曖昧ですね。教科書にはとりあえず1192年となっているので、テストでも1192年と書くのが正解だということです。しかもこの他にも、1180年説、1190年説などもあるらしくもうわけがわかりません!(^◇^;)
文科省は「聖徳太子」と同じ理由で「鎌倉幕府」も昔と同じにしたのでしょうか?(^_^;)
でも、またこのミステリアスなところが『歴史』の魅力なのかもしれませんね。
ここに書いた「鎌倉幕府」の事や、国語、算数、理科、社会、英語や、昭和と平成の学校生活の違いなども収録したこの本。お父さん、お母さんに読んでもらいたい本です。
価格:1,080円
(2018/6/12 23:47時点) 感想(0件) |
で、私も娘の『歴史』学習開始に影響され購入したこの本。日本史、世界史、日本地理、世界地理、政治経済のレア情報、雑学を1354収録。
たくさんの記事が掲載されていますが、1つ1つの記事の文字数があまり多くないためサラッと読めます。
自分の興味のある所だけ読んだだけでも満足感有りです。
温故知新ではありませんが、学生時代習ったことを思い出しながら更に新しい知識を学べます。
子供の家庭学習のレア情報としても役立っています。
価格:810円
(2018/6/12 23:43時点) 感想(0件) |
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